パリテ通信 第3


 

一生に一度、自分の姓を選択する自由

 

 今回は、「姓」に関する最近のフランスでの法改正について紹介したい。一生に一度だけ、自分の姓を自由に選び直せるようにするという改革である[1]

 

姓=「父の名」の伝統

 

 フランスにおいて「姓」は長らく「nom patronymique」(nomは「名前」、patr-は「父、家長」の意味の接頭語)と呼ばれ、父の名前に同視されてきた。婚内子の場合、子は自動的に父の名前を受け継ぐという状態が長く続いた。このナポレオン法典以来の制度はなんと200年も続き、2005年からようやく子どもに受け継がせるファミリーネームを選べるようになったのである。その機会に、選択肢は母の姓、父の姓、そして父母の姓を連結させた結合姓に拡大した。

 

 それからしばらくは、父母間に争いがあった場合、自動的に父親の姓を割り当てるとされていたが、さらに2013年の法律によってこれも廃止された。ちなみにこの改革は同性婚実現の副次的効果でもある。なぜなら同性婚が実現したことにより、少なくとも養子に関しては同性の両親が存在することになるため、自動的に父の姓を割り当てている規定は意味不明になったからである。同性婚を実現した法律において、姓に関する全面的な規定の整備が行われたことは大変に興味深い事実である[2]

 

姓の変更に理由は不要に

 

 フランスでは今でも、10人中8人の子どもが父親の姓だけを受け継いで名乗っているそうだ。父の姓の継承が積極的選択に基づく場合や慣行に従っているだけの場合も多いであろう。

 

 しかし、両親が別離している場合にはこの状態を維持したいとは限らない。子どもを一人で育てる親にとって、分かれたパートナーの姓だけを子が名乗っていることが、行政手続においてトラブルとなったり、子にとっても苦痛となっていることがある、というのが今回法改正のきっかけとなっている認識である。特に子育てに協力しない元配偶者を持ったシングルマザーの場合が念頭に置かれている。

 

 まず今回の改正によって、受け継いでいない方の親の姓を通称として使用するための条件が緩和された。さらには、出生証書(日本の戸籍に当たる)の姓も、簡単に変更できるようになった。例えば、自分が父親の姓だけを受け継いでおり、これを母親の姓に変更しようとする場合、成年に達していれば届出によって、理由を問わずに変更が認められることになった。それまでは行政の許可が変更に必要とされ、理由がないと判断されれば変更は拒否されることとなっていたので、大きな規制緩和となる。

 

 受け継いでいない方の親の姓を元の姓に置き換えるだけでなく、受け継いでいない親の姓を加えて結合姓とする、すでに結合姓が採用されている場合には、どちらか一方の姓を削除する、順番を変えるということも自由にできるようになった。実際には、「育児を放棄した父親と母子」のような情緒に訴えかけるステレオタイプを超えた自由化である。

 

名前の選択の自由+両親間の平等 VS 民事身分の安定

 

 法案の提出理由には、「民事身分の安定」という登録制度の従来からの目的を保持しつつも、「両親の間の平等」と「名の選択の自由」が保護するに値する利益であることが主張されている。そしてこの改正が、父親の姓の使用継続について合意している人にいかなる負担も与えない点も強調された。つまり、子の改姓が誰の権利とも衝突しないことがポイントとなっているのである。

 

 身分の安定性という要請と調和させるため、この理由を問わない名前の選択権の行使は、一生に1回きりである。2回目以降には正当な理由を必要とし、許可が必要となる。

 

夫婦別姓と戸籍制度

 

 選択の自由という視点や、この権利を行使する人がそれほど多くはないと予想されることなどからすると、この改正は日本の選択的夫婦別姓に類似したところがある。選択的夫婦別姓制度は、別姓を誰にも強制しない柔軟なものであるにもかかわらず、30年以上も実現せずに膠着状態に陥ってしまった。フランスにおける20年来の急速な展開と対照的である。戦後の日本法は、夫婦の協議による氏の選択と子への継承が可能であったという意味で、父の姓しか伝えられないフランス法に先行していたが、完全に逆転している。

 

 日本がこれだけ氏の問題を拗らせているのは、間違いなく氏と「家」を密接に結びつける戸籍制度の影響である[3]。もちろんフランスに戸籍制度はなく、出生証書は個人単位で作成される。結婚しても出生証書の姓は影響を受けないが、希望すれば配偶者の姓を使用したり、配偶者の姓を自身の姓に連結して結合姓を名乗ることもできる。家族の姓の統一はもちろん義務ではない。

 

 ただし、実際に異性婚のカップルで配偶者の姓を使用しているのは、圧倒的に女性側である。性別役割の問題が社会的に根強いことの反映であることは否定できない。が、まずは強制的に姓を変更させられる人はいない、ということが何よりも重要であろう。

 

 

アイデンティティとしての姓

 

 外国人の姓を原則的に受容しない戸籍制度と異なり、フランスの身分登録には外国姓も容易に入り込んでいく。姓は個人のルーツを示す重要な要素となる。

 

 ちなみにフランス生まれの私の子どもたちも、私の生来の姓である「SAITO」とフランス人親の姓を連結した結合姓を出生時に登録し、日常生活でも使用している。個人的には、こうして日本のルーツを伝えられることは嬉しいことではある。というと、ナショナリストの自己満足と思われるかもしれないが、その通りである。

 

 しかし、今回の法改正により、子どもたちが将来、この日本ルーツを自らのアイデンティティを反映していないものと考え、名前からこれを消し去りたいと望めば、それも可能となったのであり、私はこれに対抗することは全然できない。それでよいのであり、そのような法改正なのである。

 



[1] Loi n° 2022-301 du 2 mars 2022 relative au choix du nom issu de la filiation

[2] 大島梨沙「同性婚の承認」日仏法学28号(2015)163頁参照

[3] 戸籍制度の特殊な思想性については、拙稿「戸籍による国民の把握とその揺らぎ」公法研究75号(2013年)。