パリテ通信 第5回

 

「愛の悲劇」ではなく、フェミサイド

 

 

 フェミサイドという言葉がある。英語のFemicideのカナ表記である。女性を示すfemi-と殺すことを意味する接尾語-cideからなり、元々は文字通り「女性を殺すこと」を指す。しかし現代では、それにとどまらず、女性であることを理由とした女性や少女の殺人の憎悪犯罪的性格を浮き上がらせるために使われる概念でもある。

 

 フランスでは、フェミサイドではなく、フェミニサイド(Féminicide、仏語の発音はフェミニシド)という言葉を用いることが一般的である。「フェミニサイド」には、1990年代にラテンアメリカのフェミニストが、女性の大量殺害、国家犯罪としての女性殺害を告発するために、スペイン語のFeminicidoという言葉を用いるようになったという背景があるようだ。つまり、フェミサイドとフェミニサイドは、厳密には歴史の異なる段階で出現した言葉である[1]。(今回は、一番普及しているフェミサイドの語を、以下フランスの文脈でも使うことにする。)

 

 世界保健機関(WHO)は、フェミサイドとは、女性のあらゆる形態の殺害を指す場合もあるとしつつ、「女性や少女を女性であるがゆえに殺すことと」定義している[2]。さらにWHOによれば、「フェミサイドを犯すのは通常男性であり、時には家族の一員である女性も関与する。フェミサイドは、男性が殺害される殺人と異なる特徴を持つ。例えば、ほとんどのケースで、パートナーや元パートナーによる殺害であること、そして継続的な家庭での虐待、脅迫、威嚇、または性暴力、もしくは女性がパートナーほどには権力やリソースを持っていない状況が関わっている」という。

 

フェミサイドの視点

 

 このフェミサイドという視点をとると、いわゆる「三面記事」的な事件もまったく違った見え方をしてくるのである。性犯罪に続く殺人、さらに「恋愛感情のもつれ」などと形容される女性殺害がそうであるように、女性が被害者となる殺人の多くが、このフェミサイドの性格を持っていることに、普通は気が付くだろう。そしておそらく慄然とするはずである。女であることで、低い賃金しか得られない可能性や性犯罪に遭う可能性が高いというだけでも十分過酷なのに、ましてや日常生活を送るだけで他者に命を奪われやすいかもしれないということが示唆されているのだからだ。

 

 日本では2019年に、家庭裁判所内で、女性が離婚調停中の夫に刺殺されるという事件[3]が発生し、個人的には大変衝撃を受けた。しかし目にした報道は、そのフェミサイド的性質に焦点を当ててはおらず、暗然としたことを記憶している。

 

仏メディアの中のフェミサイド

 

 近年フランスメディアでは、このフェミサイドの語が多用される。DV殺人があれば、それは必ずと言っていいほど「フェミサイド」の語を用いて語られる。昨年の報道の例を挙げると、5月に仏南西部ボルドー郊外で、DVで保護観察中だった元夫が元妻を通りで生きたまま焼き殺した事件。そして1月にパリで29歳の女性が絞殺されて発見され、被疑者は現役警察官たる夫で、1か月の逃走の後逮捕されたというインパクトの強い事件が起きている。さらにこの警察官は、女性を殺害する以前に、配偶者への暴力で拘束されていたというから、DV対策の機能不全として社会にショックを与えた。こうした事件はフェミサイドとして報じられている。

 

 少し遡って、2016年に仏東部のブザンソンに留学していた日本人女子学生が行方不明となった事件も、もちろんこの話題に関係がある。この女性の遺体は発見されていないが、チリ人の元交際相手が謀殺で起訴され、1審で有罪となった(控訴中)。公判では、訴訟参加した遺族側の弁護士が、やはり「フェミサイド」に言及している[4]

 

 もう一つ大きな関心を呼んだ事件を挙げると、やはり仏東部で2017年に、30代の女性が行方不明になった後、体の一部が焼かれた状態で森で発見されたというものがある。当初ジョギング中に何者かに殺害されたと思われたが、その後、遺族としてメディアに露出していた夫の犯行が発覚するという経過をたどる。夫側の弁護士は、殺された女性が、夫の性的不能を責めるような「威圧的な」性格であったことを強調するなどして、世論の被告への同情を誘うことに成功する。このような被害者バッシングが、この事件のフェミサイドとしての性格を逆照射する結果となり、象徴的なケースとなった。

 

名づけられないものは存在できない。これらの犯罪は名づけられて相互に関連付けられるようになった、と言える。

 

カウントすることの重要性

 

 「愛の悲劇」などとしてセンセーショナルに煽られ忘れ去られていく、これらの「惨事」に共通の名を与え、カウントすることが、その広がりや深刻さを認識させるための一歩である。

 

 「フェミサイド」という言葉は使われていないが、フランスではDV殺人についての調査が、2006年から存在している。仏内務省が、「カップル内での暴力による死についての全国調査」の名目で、パートナーや元パートナーによって殺された人、関連して殺された子どもについての情報を収集し、毎年公開する。これは、暴力によって引き起こされた「死亡」についての調査であり、殺人未遂は別に集計される。各部局へのアンケートにより事件の背景もある程度明らかにされている点に特徴がある。これによると2021年にパートナー(元を含む、以下も同じ)によって殺された人の数は、143人で、このうちの85%にあたる122人が女性である。そして加害者の86%が、男性である[5]

 

 また、このように1年に一度だけ発表される公的な統計にとどまらず、リアルタイムのカウントの試みもある。こうした試みの創始者は、2016年からボランティアで情報を収集し、パートナーによって殺された女性の数などをリアルタイムで公開しているfeminicides.frであろう。ボランティアが1日8時間かけて海外県も含めた全国の地方紙を含めてチェックし、パートナーによって女性が殺された事件を洗い出し、その後の捜査の進展についても追跡している。

 

 このような試みは、パートナーによって女性が殺される事件を「情痴」事件としてメディアに消費させず、かつ1年に1度だけ発表される統計上の単なる数字としても扱わせない、という意図がある。feminicides.frには、被害者の顔写真と殺害の経緯が1人1人について記されており、かなり真に迫ってくる。

 

feminicides.frのカウント

https://www.feminicides.fr/

 

 別のフェミニスト組織の「ヌ・トゥット」(Nous toutes、「私たちすべての女性」の意)は、feminicides.frと袂を分かち、2022年初頭からパートナーによって殺害された女性だけでなく、すべての「ジェンダーを理由とした」女性の殺害を数えている[6]。フェミサイドが、カップルの中外を問わずに起きる連続体的現象であると考えればもっともではある。しかし、この場合どこまでを「ジェンダーを理由とした殺害」としてカウントするかは難しい判断となろう。

 

「ヌ・トゥット」のカウント

https://www.noustoutes.org/comprendre-les-chiffres/

 

 ラテンアメリカでは、フェミサイドを特別の犯罪として定める国もあるようだが、フランスではその具体的な動きはなさそうである。すでに、配偶者間の殺人・暴行は普通殺人・暴行よりも重く処罰されることが定められているほか、何らかの犯罪が性別を含む事由に対する憎悪に基づいている場合も重く処罰される。フェミサイド概念の導入、そしてそのリアルタイムの集計は、法的な観点というよりも、人々の意識や視点を変えさせることを意図している。

 

日本での調査

 

 翻って日本を見てみると、事件報道でのフェミサイドの視点は、ほとんど不在であると言わざるを得ない。そしてフェミサイドに関連しそうな統計についても、気になることが色々ある。

 

 まず仏内務省の統計のように、殺人未遂を別集計にした上で、傷害致死の算入など暴力によって実際に死に至った人数を明示することが、フェミサイドの広がりと深刻さを探るうえで必要であろう。そして死が引き起こされるまでの背景(例えば先行した暴力の有無など)も調査に含めて公表してほしい。上述のフランス内務省の被害者専門組織は、毎年6カ月間かけてそのような調査を行っている。

 

 2020年のデータをもとに立憲民主党が公開した計算では、検挙された全殺人のうちで(元)配偶者・恋人に殺された人の割合を女性と男性で比較すると、前者は後者の2.5倍となっている[7]。親密な関係において女性が殺されやすいということになる。これは公表されている『犯罪白書』だけからは分からない数値であるということであり、やはり特化した統計の必要性を感じる。

 

 また日本では、配偶者間の傷害・暴行では圧倒的に女性被害者の割合が大きいのに、殺人となると男女の差がかなり縮小するという現象がある[8]。これは何を意味するのだろうか。配偶者の暴力に耐えかねた女性が加害者に転じるという事例があることも指摘される[9]。ちなみに上記のfeminicide.frでは、女性パートナーによって殺された男性の数も集計しており、そのうち正当防衛にあたりそうな事例の数も明らかにしている(2022年末で14件中6件)。

 

 そして日本の殺人の件数は諸外国と比較して低いレベルにあるのだが、女性被害者の割合は世界でも最も高い[10]。これはそもそも何を意味するのだろうか。フェミサイドという視点で切り込まなければならない闇は、やはりあるように思うのである。



[1] Féminicide : nommer le crime pour pouvoir le combattre, CNRS Le Journal

[2] “Understanding and addressing violence against women Femicide”

[3] 朝日新聞デジタル版2019年3月20日

[4] France Bleu, 22/04/2022

[5] Étude nationale sur les morts violentes au sein du couple 2021

[6] フェミサイドのカウント方法によるフェミニスト組織間の分裂は、トランスジェンダーの問題が発端となっている。feminicides.frはトランス女性を考慮しておらず、トランス嫌悪的であると批判されたのだが、これはカウントを開始してから6年の間にパートナーに殺されたトランス女性がいなかったということのようである。しかし「ヌ・トッゥト」は、この間のやり取りの結果、feminicides.frをトランス嫌悪的であると判断して連携を停止、独自に集計することにした。 

Le monde, Le collectif Nous toutes se désolidarise du compte Féminicides par compagnons ou ex, 6/01/2022

[7] https://cdp-japan.jp/campaign/gender_equality/fact/009

[8] https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r03/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-07-02.html

[9] 辻村みよ子・糠塚康江・谷田川知恵『概説ジェンダー人権』(信山社、2021年)pp.207-208[谷田川執筆]

[10] UNDOC, Global study on homicide 2013, pp.54-55