パリテ通信第6回

 

パリテ「第二幕」のための憲法改正?

 

 

「第二幕」の必要性

 

 フランスの政治のパリテにはいくつかの課題が指摘されているが、そうした問題提起の先頭に立っているのは、本通信にもたびたび登場する「女男平等評議会」(Haut Conseil d’Egalité entre les femmes et les hommes、以下HCE)である。これは、独立した政府の諮問機関であり、2013年に現在の形態となった。女性の権利と平等に関する政策について、市民社会との協議を行い、議論を活性化することを任務とする。女男平等政策について、法律の影響評価、平等に関する分析の収集と拡散、首相への勧告や答申を行う。首相や女性の権利担当の閣僚からの付託を受けて、あるいは自発的に勧告や意見を出すこともある。

 

 HCEは、数の上では閣僚のパリテを達成し、かつ史上二人目となる女性首相が主宰する現政権についても、問題を指摘してきた。本通信(第4回)でもお伝えしたように、例えば財務相、外相、法相、内相といった最重要ポストに女性閣僚は少なく、「責任」の重さにおいて不均衡があること、選挙に関しても、政党の間に、勝てる見込みのない選挙区に女性候補者を擁立する傾向があることもすでに伝えた(第2回)。HCEの批判は重要な決定がとられる場である各省の官房にも及ぶ[1]。大統領の官房では14人の顧問のうち、女性顧問は2人にとどまる。予算配分という観点からも、権力配分の不均衡は問題にされている。

 

パリテが着実に進展する傾向がある一方で、このように不可視化される停滞という問題があるため、HCEはパリテの「第二幕」の必要性を力説している。「第一幕」では、パリテを「促進(favoriser)」した。「第二幕」とは、パリテを「保障する(garantir)」ことであるという[2]。そして、第二幕の“幕開け”に位置付けられたのは、憲法改正である。候補者の男女同数擁立のような現行のパリテ的措置自体が、憲法改正を必要とした。なぜパリテの更なる憲法改正が必要だと考えられているのだろうか?そしてどのような憲法改正が必要だというのだろうか?

 

パリテと憲法改正の関係

 

これまでの経緯を簡単に振り返っておこう[3]。現在憲法典の規定は以下の通りである。

 

フランス憲法典1条2項(2008年~現在)

「法律は、選挙によって選出される議員職と公職、ならびに職業的及び社会的要職に対する男女の平等なアクセスを促進する。」[4]

 

現在の規定は2008年改正によるものであり、さらに1999年より前にはこのような規定は存在しなかった。このようにパリテを根拠づけるための憲法改正が必要とされたのは、それなしには、パリテ措置が憲法違反となるからであった。

 

例えば、性別クォータ制は、性別によって人を区別することを前提とする。確かに、現実に存在する個人には性別はもちろん、人種や出身地域や階層などいろいろな違いがある。しかし、そういった違いで差別せず、皆を同じに扱うのが、(非常に大ざっぱに言って)フランス的平等の考え方であるため、性別で人を区別して扱いを変えることは憲法違反になるのである。そして選挙権や被選挙権に関係する分野は、特にこの原則が厳しくあてはまる。性別によって候補者を区別することが憲法上許されないことは、憲法院の判例ではっきりしていた。そのようなわけで、まず1999年に憲法改正をして、選挙で選ばれる議員職と公職に関して、男女の平等な就任を促進する法律を作ることが憲法違反にならないようにしたのである。

 

 しかし、これでもまだ万事解決とはならなかった。選挙にとどまらず、社会の他の部門での決定審級にもパリテを拡大しようとした時、再び憲法違反の判決が下った。今度は、企業の意思決定機関である理事会や取締役、労働審判所の判事の構成に性別クォータを導入しようとした法案にストップがかかったのである。そして再び、これを乗り越えるための憲法改正が行われ、現行憲法典の1条2項ができたという経緯がある。

 

パリテの「例外性」の克服

 

 このように、パリテは、フランス的な平等原則に対する「例外」のように常に位置づけられてきた[5]。これが第二幕の“幕開け”に新たに憲法改正が提示される理由である。HCEは憲法研究者[6]への聞き取りを実施し、その研究者の提案を以下のようにまとめている。

 

―まず、パリテを立法者にとっての「目標」として考えるだけでなく、女男平等の実現を決定づける「法」の構成要素とする。パリテは長らくフランス的平等原則への「侵害」、良くても「例外」と考えられてきた。パリテが現実的な平等に至るための「梃(levier)」であると宣言することによって、今日の女男平等政策の水準に合わない制限的な平等の概念に終止符を打つことができる。

 

―次に、立法者が、権力行使の場におけるパリテを誘導する措置だけでなく、強制する措置をとることも今日では定着しており、憲法院もこれを追認している。この段階にあって、「促進する」という表現は、立法者の行為にすでにそぐわないのではないか。立法者はすでに、強制を含む様々なパリテ措置により、パリテを女男平等政策の基本方針としているからである。

  

―最後に、パリテ実施のための措置に必ずしも法律の形式をとった規範が必要とされるわけではなく、行政立法によっても可能であるということを明確化するためにも、憲法改正が必要とされる。

 

最後の点は、パリテが相変わらず「例外」と考えられていることと密接に関連する。2013年、フランスの最高行政裁判所に当たるコンセイユデタは、憲法典に照らして、パリテ的な措置をとる権限があるのは、立法者だけであると明言した。そして、国が公認するスポーツ団体の意思決定機関において、女性の割合が一定の値を満たしていることを義務化した政令の廃止を命じたのである[7]。このような事態が繰り返されるのを避けようというわけである。

 

そしてHCEは、現行憲法典1条2項を以下のように書き直すことを提案している。

 

「パリテは、女性と男性の間の平等への法(=権利)を実効的に実現するための不可欠な梃(levier)である。この意味で、公権力は、女性と男性が選挙職と公職、職業的及び社会的な責任ある地位へと平等に就任することを確保する。」

 

現行の文言のうち、「法律」の語は「公権力(pouvoirs publics)」に、「促進する」の語は「確保する(assurait)」におきかえられている。そして、パリテを実効的な女男平等という目的に使える「道具」と考える点が明確にされている。選挙で選ばれる議員職・公職に関してのみ適用される「例外」であるという限界を克服するためである。この方向での改正によって、法律による強制的措置の採用も、行政機関によるパリテ的な措置の採択もやりやすくなることは間違いない。

 

実現すべき「目標」として平等、その「ツール」がパリテである

 

一つ気になるのは、パリテを法として確立するということは何を意味するのか、ということである。フランス語のdroit(法)という言葉は、権利をも意味する語である。HCEの報告書では、パリテを「droit」として確立すべしという声が政党の党首などからあったことが紹介されている。他方、フランスの憲法裁判所は、個人が自分の権利が侵害されたと主張して提起する憲法訴訟においては憲法1条2項を根拠にすることはできないとはっきり述べている[8]。こうして、パリテが憲法上の主観的な権利であることは否定された。HCEの報告書では、この限界を突破することは想定されていないようであり、上の改正案でも、「女性と男性の平等」が「法=権利」であって、パリテはそのための「梃」にとどまっていると読める。とすると、改正案の趣旨は、パリテ第二幕に向けて、その例外性を払拭し、他の憲法上の権利に対抗する力をさらに授けるということなのであろう。

 

 ここまで「フランス的平等原則」という趣旨の表現を何度か用いたが、平等原則の理解には日本でもそれほど違いはない。やはり形式的な平等が原則であり、性別を考慮した措置は、場合によっては憲法違反となる。問題は常に、ある局面において性別を考慮することを正当化する理由であり、対立は大体ここに収れんする。性別による区別を行うことによってより大きな文脈における男女平等を実現するということが、そのような理由として認知されうるか、が問われる。日本でも、憲法上、男女平等を実現すべき目標と位置づけて積極的な平等政策に対するコンセンサスを形成する必要性にやはり思い至るのである。

 



[1] HCE報告書

[2] 報告書p.3

[3] この経緯については、糠塚康江「パリテ・再論」樋口陽一=森英樹=高見勝利=辻村みよ子=長谷部恭男『国家と自由・再論』(日本評論社、2012年)が詳しい。

[4] 訳は、初宿正典=辻村みよ子編『新解説世界憲法集第2版』(三省堂、2010年)p.238[辻村執筆]。

[5] ただ、パリテを構想したフェミニストたちは、パリテを「例外」ではなく、「原則」の再定義と考えたはずである。前掲・糠塚231頁以下。

[6] パリ・ナンテール大学のElsa Fondimareによる。

[7] CE. le 10 octobre 2013, n°359219

[8] CC. Décision n° 2015-465 QPC du 24 avril 2015